戦時中の食糧難を経験した創業者 築野政次が「食糧の安定供給が図れる事業で社会に貢献したい」という想いで興した築野食品工業株式会社。創業当初は精麦事業でしたが、お米屋さんを通して麦を販売していたことがきっかけで米ぬかとの縁ができ、こめ油をつくることになりました。
昔は用途が限定され捨てられることもあった米ぬかを100%使いこなすことを目標として、現在では、こめ油をはじめ様々な食品原料、医薬品原料、化粧品原料、化学品などを開発する事業に展開しています。
米ぬか高度有効利用を目指した理由や歴史、事業を通して叶えたいことをインタビューしました。
米ぬかって油の原料としては実は向いていないんです。米ぬかに含まれる油分はわずか20%ですし、その油分から食用油(こめ油)は約75%しかとれません。
そのような背景から、創業者は副産物である脂肪酸も有効利用しないとコストが合わないと感じており、こめ油の製造を始めた1960年当初から、脂肪酸の製造設備も建設していました。また、米ぬかの水溶性の副産物からイノシトールという医薬品原料がとれることを教えてもらったときにも迷わず着手し、1973年にイノシトールの製造を開始しました。父(創業者)は先見性のある人だったのだと思います。
(築野富美)
私は父から「人がやらないことをしなさい」と指導されていたこともあり、入社した頃はイノシトールを海外に販売することからはじめました。そこで出会った海外のユーザーさんや研究者の方々とディスカッションをする中で、米ぬかにはまだまだたくさん魅力的な成分が秘められていて無限の可能性があると感じ、とことん追求したいと思うようになりました。はじめはイノシトールだけでしたが、フィチン酸、オリザノール、フェルラ酸、、、どんどん製造できる成分を知って、紙に書いていったんです。それを副社長が横で見ていて手伝ってくれて、お米からとれる成分のツリーができました。それがファインケミカルのスタートです。とてもワクワクしました。
脂肪酸は、実は副社長の入社がきっかけで発展したんです。
(築野卓夫)
社長は、米ぬかの成分について夢を語るときに本当に目が輝くんです。すごいですよね。
私は食品工学を専攻していた大学院生のときに社長と結婚をして卒業と同時に入社しました。入社時は脂肪酸を付加価値の高いものにしていくことからはじめました。
米ぬか脂肪酸は粉石鹸に使われていたのですが、お客様のニーズをもとに工程開発、プラント建設をすることにより、より色やニオイの無いものをつくれる技術を開発しました。その技術が応用できると思い、大豆油や菜種油の製造工程で出る脂肪酸を購入して、いろんな脂肪酸をつくれるように展開しました。
オレイン酸が大手化学メーカーに採用されたときには、牛由来の代替になりました。当時はコストダウンの面で評価されたのですが、今となっては動物由来のものから植物由来に転換できるという面で注目されています。
(築野富美・卓夫)
私たちは米ぬかの成分にこだわったので、世の中に無いものを作り出して提案する立場です。「机上でこんな成分ができる」と伝えても、お客様に全く相手にしていただけません。供給量、安定性、規格、機能性、価格、、、あらゆる面で、まずは製造できる体制を確立しないことには始まらないのです。その考え方は二人が共通していて、世の中に送り出したいと思った成分は、投資が回収できるかを考えずに製造設備を整えました。実は製造できるようになって20年経ってようやく販売が軌道に載った製品もあります。
リーマンショック後の2010年に、全国の学生を対象に新卒採用を開始したのも大きな変革でした。優秀な学生に入社してもらい、大学の研究室と同じレベルの分析装置を自社で保有することで、こめ油のおいしさを科学面からアプローチしたり、各種成分の工程改善をしたり、品質向上、新規機能探索と、あらゆる研究が進みました。
父(創業者)も、新しいことに取り組まなければならないとは言いつつ、私たちが入社したころから事業継承するまで、やろうとしたことは全て反対されました。それどころか、私はもちろんでしたが、大学で研究をしていた現副社長にも従業員と共に何ヶ月も左官工事をやらせて工場を建てさせたり、何かと普通ではなかったと思います。
何事も反対されるので、知恵を絞って、設備もできる限り安くつくりました。反骨心がエネルギーになって完遂できましたし、最後は応援してくれていたことも考えると、今となってはそんな策略だったのかもしれません。
「食糧の安定供給が図れる事業で社会に貢献したい」という精神はぶれなかったし、その思いに賛同した従業員がいて、その生き様そのものが今の築野食品工業の基盤となっていると感じます。そうやって苦しかった時代の弊社を知っている従業員のお子さんが、時を経て、何人も弊社に入社してくれているんです。親子で働いてくれるなんて、心底嬉しい話ですよね。
お米の価値を向上させるために私たちができることは、まだまだある米ぬかの未知の機能性を追いかけ続けること、そしてそれがお米に携わる方々への恩返しにもつながると信じています。お米は三大穀物の一つ。世界中の人々に貢献できる可能性がある穀物なので、有効利用しがいがあるんです。これからも米ぬかに夢を託し続けたいと思っています。
また、お米の価値を発信していくことも、私たちの新しい使命と感じています。
1990年代、お米由来の成分が海外でつくられる別の穀物由来の成分に代替され、ファインケミカル事業の存続が危ぶまれる経験をしました。
その際、海外の有識者の方々から同じ成分でもお米由来だからこその価値があると励まされ、それをもっと発信すべきだと思って国際シンポジウムを企画しました。10年に一度の少ない頻度ではありますが開催を続けています。これまでに世界中からのべ45ヶ国の方々に参加いただき、お米の魅力を語り合いました。それを機にお米研究に拍車がかかり、研究対象としてのお米の価値が認識され、発信することの大切さを実感しました。
日本の日常生活では、お米の存在が当たり前過ぎてその価値が注目されず、消費が減少しているのも事実です。
このメディアでお米に関わる方々の取り組みを発信していくことが、たくさんの方々からお米が愛されるきっかけになることを期待しています。